―堕天使の起源・ワケあり編―
by ヒュブリスさん
皆さんは堕天使と聞いてまず何を連想するでしょうか。
ちょっとドリーマーな乙女はルシファーの様なちょっと影のある耽美系美青年を連想するかも知れません(そうか?)
実際のソロモン72柱の堕天使なんかはほとんどがクマやらライオンやら馬やら山羊やら鳥やら蛇やらがごっちゃになってたり人型しててもゴツイおっさんだったりアンパン潰れた様な顔だったり耽美系とは程遠い姿してるのにねぇ…。
ヒェッヒェッヒェッ。
それは兎も角。
では堕天使とはどうやって誕生したのでしょう。
「そんなんルシファーが神に逆らってクーデター起こしてミカエル軍に負けて地に堕とされて…」と言われるかも知れませんが、ここで言う誕生とは『神話的ルーツ』ではなく『歴史的ルーツ』、即ちユダヤ・キリスト教が精錬・拡大していく課程でいかなる需要によってこの概念が生まれたかです。
例えば天使は神一人ではフォローしきれない諸々の任務を分担する末端機関としてユダヤ・キリスト教の教義に比較的相性の良さそうなオリエントの神々を吸収した結果生まれました。
じゃあ堕天使はどういう背景で生まれたか。
結論から言えば、教義の矛盾を埋める為の教会権力者の苦肉の策の産物なのです。
堕天使という概念が生まれたのはそれ程古くなく、キリスト教が宗教としての基盤を完成させたかなり後です。つまり、元々堕天使という概念はユダヤ教には存在せず、キリスト教が生んだものを逆に取り入れたのでした。
何故ユダヤ教の時代には堕天使という概念が生まれなかったかにもちゃんとそれなりの理由があります。
キリスト教に於いて、神は全知全能で絶対的善、完全無欠の存在です。
ココで既に矛盾してます。
何故絶対善の神がこの世を支配してるなら、この世に少なからず『悪』が存在するのか。完全無欠の神なら、ほんの少しの悪が存在するのも許さないはずだと。全知全能の神が何故悪を淘汰出来ないのかと。
教会権力者達は『悪魔』という概念を作りました。
この世には悪魔という神の敵対者がいて、そいつらが悪を振りまくのだと。
だから、悪は神に起因するものではないと。
悪魔のモデルには、旧約聖書の試す者サタンがモチーフに選ばれました。
この浅はかな付け焼き刃の概念は、さらなる矛盾を生み出しました。
じゃあ何で悪の元凶である悪魔の存在を絶対善の神が許すのか。
何故全てを支配している筈の神の意に反する勢力が存在出来るのか。
いや、それ以前に神が真に完全無欠なら自分の敵対者が生まれる事を許す事自体がおかしい。
神がこの世の全てを生み出したのなら、悪である悪魔も善である神が生み出したと言うのか?
じゃあ悪魔の悪行も神の壮大な計画の内に含まれてる予定調和という事にすれば?しかしこれでは神の絶対善性と根底から矛盾します。
全てを支配する絶対善の神の生み出すものは全て善でなければならない。じゃあ何で絶対悪である悪魔が存在している?
そんな議論が矛盾の壁に突き当たった時、生まれた概念が堕天使でした。
つまり、悪魔は堕天使の成れの果てである。
神の生み出すものはすべからく善だが、彼等には自由な意志があり、自分が神の教え通り善の道を行くか、それとも悪の道に走るかはそれらの独立した意志である。だから神の生み出したものは善だが、それが悪に走ってもそれは当人の責任であって、神に責任が起因する訳ではない。
神は天使を創造した。だが一部の天使は『自分の意志で』善から遠ざかり堕天使=悪魔となった。だから、この世に悪があるのは神のせいではない。
…これでもかなりムリがあるんですが、まぁ文字通り苦肉の策です。
そして、その堕天使という概念が存在する証明となったのが、堕天使を少しでもかじった者にとっては余りに有名な旧約聖書イザヤ書の
「ああ、お前は天から落ちた 明けの明星、曙の子よ。
お前は地に投げ落とされた もろもろの国を倒した者よ。
かつて、お前は心に思った。
『私は天に上り
玉座を神の星よりも高く据え
神々の集う北の果ての山に座し
雲の頂に登って いと高き者のようになろう』
しかし、お前は陰府に落とされた 墓穴の底に。」
という一節です。
これは元々堕天使を詠った詩などではなく(というか旧約聖書が編纂された頃には堕天使や悪魔の概念そのものが無かった)かつて隆盛を極めたとあるバビロニア王の死をシャヘルというカナアンの光明神の失墜になぞらえて詠ったものでした。それを教会権力者達が「これは堕天使の事を詠った物だ!!そうに決まってる!!!」とこじつけたのでした。そして生まれたのがラテン語で「光をもたらす者=金星」の意味の名を持つ堕天使ルシファーです。
以降、この詩はルシファーの栄光と失墜を詠った物という事になりました。
かくて原初の堕天使ルシファーは何とも微妙な事情で生まれたのです。
因みに何でユダヤ教に悪魔や堕天使の概念が必要無かったかと言うと、
ユダヤ教に於いては神という存在は善と悪を内包した存在であるからなんですね。
この神は試練の神であり、人間に試練を与える為に人間にとってはノーサンキューな事象(自然災害など)を引き起こすのです。
そして、その試練に打ち勝った者だけが神の国へ行けるという。
キリスト教みたいにひたすら善性をアピールするのではなく、アメとムチを使い分けるのですね。悲惨な境遇に陥りまくったイスラエルの民らしい考え方です。
しかし、まぁ起源はどうあれ、そのこじつけのお陰で昨今に至るまで愉快な悪魔が沢山生まれた訳ですから、メガテンファンとしてはその無理なこじつけに感謝すべきかも知れません。
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