第4話 (1)
悪魔とはなんぞや?
この問いに対し、我々は慎重且つ厳然たる態度をもって当たらねばならぬ。と、いうのは他でもない。悪魔とは、本質的に天使の相似形であるがゆえに。正義、道理、忠義、愛といった美徳を掲げて真実の美を装い我々の背後に忍び寄り、甘言と叱咤を巧みに使い分けて誠実を囁くその姿は一見、神の御使いと見まごうほどの光を放つがゆえに。
悪とは真実の正義がそうであるのと同様に、それとして目に見えるものではない。古来、提唱されるように悪魔とは天界を追放された天使であり、つまり悪魔とはあの祝福され光り輝く天使の双生児ではないか。そして天より堕とされた後にも彼らはその光の全てを失ったわけではない。容易ならぬ。神々しい後光を戴いた翼をもつものを前にして、人が彼を天使か悪魔か認定するなど、不可能に近い所業なのだ。暴力といえるだろう。(中略)
前述したが、悪魔とは常にそれとわかる姿をとって我々の前に現れるとは限らない。つまり悪魔とは、先端のとがった尾を生やし巨大なフォークを手にした有翼生物のみとは限らないのである。我々がこれ以上なく古くそして新しい、「悪魔」という問題を問いただすにあたって、一般的な意味での悪魔を無分別に「悪魔」とカテゴライズしてきたこれまでの学界の行為を、既成概念に囚われた頭の固い老人どものすくいようのない愚行と呼ばざるをえないのはそういうわけである。
学者たちのこの職務怠慢によってどれほどの悪魔が世にはびこり、正義を欺き、悪徳を謳歌していることか。
「世界の警察」を旗印に、露骨に帝国主義を推し進める某国大統領。国民に寄生し私利私欲に走る、腐敗しきった政治屋や官僚。自己中心的な正義をぶつけ合うだけの不毛な民族紛争。精神の自由すら緊縛する数多のカルト。そして、「ニュートン力学、相対性理論の発見にも匹敵する、あらゆる自然現象の根源を解き明かした革命的偉業」と世界の有識者が賞賛したプラズマ理論を前に、愚かにも「子供じみた誇大妄想」「科学をなめきった悪質ないたずら」「駄文」「珍臭」「おじちゃん、ノーミソだいじょーぶでちゅかぁ??」などと嘲笑う無知蒙昧で閉鎖的な日本の知識人・文化人たち……現代、我々の周囲は「悪魔」に満ちている。(中略)
これはけっして逆らえなかった自然の流れなどではなく、明らかに閉鎖的な体質をあらためることのできなかった学界がもたらした「人災」である。
本書はこれまで学問が放置してきたこの「人災」=悪魔問題をプラズマ理論によって解明し、「悪魔」というプラズマ現象への対処法の考察を試みんとする、悪魔に支配されたこの社会に対するささやかな抵抗である。本書が、読者諸氏が悪魔の手から自由を取り戻す手引きとなり、貢献できたなら幸いである。
大月教授『神々の査問』(サトミタダシ出版局 199X)序文より抜粋
世にも真・女神転生な物語・堕天使編
〜人間失格と人間裏取引で合格 どっちがいい?〜 作・太宰治(甘党)
契約その1:哀・天使
追う。
どこまでも追うのだ。
あいつを捕らえるまで、あいつの背中に手が届くまで。
気がつくとあいつの姿は消え失せて影もなかったが、僕が呆然としていた時間が、あいつを追うことも出来なくなるほど長かったとは思えない。
追え。今ならまだ間に合う。
間に合うならば、追いかけねばならない。
僕は、あいつを、追いかけなければならないんだ。
耳元で誰かが虫けらの羽音のように囁いている。
「ゼノンのパラドックスを知っているか?」
やかましい。黙っていろ、貴様の知ったことか。
「アキレスは亀に追いつけない。」
追う。
いつまでも追うのだ。
*
扉を開けて一歩踏み込めばそこは別天地である、といってもよいだろう。
バー「魔の巣」は、外の喧燥から空間ごと切り離されたかのような、信じられぬほどのぬるい静寂で満たされていた。
扉の外で幾星霜の時が経とうと、この店にとってそのことは、おそらく、何の意味もなさない。世界が果てるその時さえ、店内は今と寸分違わぬこの静寂に包まれているだろう。時の法則が、扉一枚を隔てたこちらとあちらでは違っているのだ。
そんな気になってしまう。「魔の巣」に巣食う静寂はそれほどにぬるく、澱んでいる。
時間が止まったよう、というのとは少し違う。
流れはあるのだがそれは極度に遅く、しかもゆっくり、ゆっくりさらに遅くなってゆく……「停止」に限りなく近づいて行く……だが、決して「停止」に至りはせず、時は飼い殺しのような前進を続ける……。
つまり、これはゼノンのパラドックスだ。
カウンターの奥でグラスを磨く、顔の半分を真っ白いヒゲで覆われたマスターの緩慢な動きを横目に眺めつつ、彼はグラスを傾けた。
アキレスは亀の二倍の速さで前進、前方の亀を追い越そうとする。アキレスがゆうゆうと歩いて亀がいた地点へ到着した時、しかし亀は既にそこにはいない。亀とて立ち止まっているわけではないのだから、当然である。亀はその時、アキレスが歩いた半分の距離だけ前に進んでいたのだ。そこで再び亀を追いかける。亀が次にいた地点へと辿り着いた。だが、やはり亀はアキレスの半分だけ前進していて、アキレスに追いつかせない。アキレスは怒って亀を追うが、彼が亀の三倍の速さであろうと四倍であろうと、いつだってアキレスが亀のいたはずの場所へ辿り着いた時には、亀は既にその前を歩いている。
こうして亀が前進し続ける限り、亀はいつでもアキレスの少し前にいる。
アキレスは亀を永遠に追い越せない。
これはアキレスの所為でも亀の所為でもなく、「計算」という観察者の行為が追い越せない亀をつくりだしているのである。1/2+1/4+1/8+1/16……この行為を何回繰り返そうと、合計が1になることはありえない。限りなく1に近づいてゆくだけ。計算式において、アキレスと亀が前に進む距離と、時間は、二人の間が縮まるたびにゼロに限りなく近づいて行く。が、ゼロになることはけっしてない。これが、いつまでたっても追い越せない理由である。
数字に変換されて現実を遊離した、悪夢のような「時」。
ここはそういう類の時の法則に支配されていて、だから、この店の静寂は澱んでいて邪悪なのだ。
ガブリエルは十何杯目かのウィスキーに舌を浸して、ちらりと店内を見回した。
小奇麗だがお世辞にも広いとはいえない店内には、ガブリエルを除けば、店の隅で火酒をぐいぐい呑んでいる偏屈そうな年配の地霊しかいない。もっとも地霊という種族は例外なく皆、五、六百歳の年配なのではあるが。
こんな腐乱した空気に首まで浸かってもう六時間にもなる。
いつになったらあらわれるのか、あの男は。
そう毒づいた矢先である。ベルが揺れるカラカラという音が店内に木霊した。
来た……か。
幾分緊張しながら用心深く扉の方へ瞳だけを向ける。入ってきたのは、短く髪を刈りこんだ長身の男。鍛えられた鋼の肉体は軍服の上からでも十二分に目立ち、威圧的なその物腰と相俟って無言で周囲を威圧している。
男は店内を一望し、ガブリエルを見止めると、長靴を鳴らしながら一直線に歩いてきてその隣りへどっかと腰掛けた。
胸元からおもむろにラジカセを取り出して、再生ボタンをカチリ。
♪さ〜ら〜ばラバウルよ〜 また来……グワシャ。
「……軍国趣味はやめろといったでしょうが。」
「貴様の知ったことか。おい親父、一杯つけてくれ。」
殺意に限りなく近いモノのこもった一撃によってひしゃげ、もはや鉄屑と化したラジカセを無造作に後ろへ放り捨てながら、男は出されたグラスを一気にあおって吐息をはいた。
「うぉ〜い、マスター。」ぐでんぐでんに酔った地霊が濁声を張り上げる。
空になったボトルを振り回して騒ぐ地霊のほうへのろのろと歩いて行くマスターの後ろ姿を、サングラスごしに凝視しつつ、ガブリエルは顎を掻いた。
「遅すぎる。子供じゃあるまいに、あなたは時計も読めないのか。」
「自分は貴様のように暇ではないのでな。下らん戯言につきあってやっているだけ、有り難いと思ってもらおう。」
ぶつけられるあからさまな侮蔑。露骨過ぎて苦笑する気にもなれない。司令官としての彼の立場をおもんぱかって彼をここに呼びはしたものの、やはり義理など無視して一人でコトに当たれば良かった。
大体、どうしてこの男は旧帝国陸軍将校の軍服を着ている。
事前に言っておいたはずだ、目立たぬ格好をして来いと。だからガブリエルも僧服ではなく、ノースリーブのシャツに丈の長いコートを無造作に羽織っただけの、愚連隊のような崩れた出で立ちでやってきたのだ。サングラスまでした。なのに軍服である。胸元から勲章や星をジャラジャラとぶらさげて、ただでさえ目立つ体躯だというのに、これでは注目してくれといっているようなものではないか。
込み上げてくる熱いものを力尽くで腹の底へと押し返す作業は、じつに胃にしみる。
「暇でないなら、帰ってくれて結構だ。私は義理を通しただけで実際問題、あなたがいなくても一向、問題はない。」
「そうしたいのは山々だがな。自分にも立場というものがある。愚劣な青びょうたんのたわ言とはいえ、幹部クラスの言葉を無視するわけにはいかんのだ。何だ、内密の話とは。」
「議事録を見たのだが……先の会議で、あなたはある人間のことについて、言及していたらしいな。」
「?」
我の強そうな太い眉が怪訝そうに釣り上がった。奥では正体を失って反吐にまみれた床に崩れ落ちた地霊を、マスターがのそのそと介抱している。ガブリエルは続けた。
「代々木上原の集団リンチ、国技館での第三回公会議襲撃、施薬院焼き討ち、六本木教会占拠、メシア教徒百二十名の暴徒化、荒川土手でのサバト………………」
「………………骨川司教の薬物乱用の末の廃人化、暴徒による新宿占拠および要塞化、機械警察プロジェクト顧問・木手栄一博士の乱心、悪魔使いの急増!裏貨幣の流通!!カズフェル殺害!!!」
「……その通り。これらが奴の関与していると見られる事件だが……所詮、氷山の一角なのだろう。」
どん、拳を叩きつけられ、机がびりびりと振動する。
どん!
奥歯を噛み締めて再度拳を振り下ろす彼の怒気に、思わずグラスを一気に空けた。
ウィスキーを喉に流し込んだのは……苦し紛れだ。まさか、この男の粗野な怒りに寒気を感じるなど、思っても見なかった。
「ルイ・サイファー。あの男がどうした!」
「そう熱くなるな。マスター?」
ワインを注文しようと振りかえった。
と、地霊の傍らに座り込んだマスターの背がひくりと震えた。
注視してみれば、その手の中には1000魔貨札が数枚握られている。もう片方の手は地霊の懐へ薄くなった財布を押し込む途中だった。
(この老人……!)
ヒゲに包まれた痩せぎすの顔が、笑うでもなく怒るでもなく、ただ、老眼鏡を外して「ぎょろり」と目玉を剥いた。
「御注文ですか。」平然と立ち上がり、老眼鏡を掛け直しながらカウンターへ戻る。
ガブリエルがワインとチーズを注文すると、無言で赤い液体に満たされたグラス二つを差し出した。
客の懐から金を抜き取った現場を見られたというのに、屁とも思っていない。雰囲気から、こちらがここでことを荒立てたくない事を察している。
この老人……食えない。
幸いにもミカエルは怒りの余りマスターの行動に気が付いていないらしく、一目もくれずにワインを飲んでいる。現場を見ていたなら、融通の効かないこの男のことである、人の話も聞かずにマスターを店ごとメギドラオンで吹き飛ばすに決まっている。
「あの男がどうしたと尋ねている!」
早々に空になったグラスを机に叩きつけ、怒鳴った。
「実は……」
マスターにちらりと目配せすると、彼はさり気なくその場から離れて行く。つけいる隙を見せない限りはお客様、というわけだ。
「実は、あの男の名刺を手に入れた。」
「何、名刺?」
「これなのだが。」
ジーンズのポケットに手を突っ込み、財布から一枚の名刺を取り出すとミカエルに手渡した。そこには無機質な明朝体でこう書かれていた。
心の隙間 お埋めします ルイ・サイファー
「こ、これはぁ!!」
「まさかとは思うが、ルイ・サイファーとはもしかすると、もしかするのかもしれない。」
「まさか……」
「確証はないがな。わたしとてこの目で奴の姿を見たことはない。しかし、万が一そうなら、トリプルAクラスの重大事。そこでミカエル司令にルイ・サイファーの正体を見極めていただこうと、今日ここにお呼びしたわけだ。暇がないなら帰ってよろしい。」
ミカエルはどうとも応えず、ただ、額を拭った。
「実は彼が今日、ここに来るとの情報をキャッチしている。」
「なに?」
「我々のよく知る、ある者とともにな。もうじきだ。」
そう言ったガブリエルの頬がひくりと震えた。
直後にドアは開けられた。
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