第3話 (1)
かつて、全知全能なる神に反旗を翻したものがいた。
気高き十二枚の翼を持ち、被造物のうちでもっとも美しいその者は、最高位の神霊として神の玉座のもっとも近くに侍ることを許された、誇り高き天使であった。
彼は神の恩寵を一身に受け、まばゆいばかりに光り輝き神の稜威を示す存在であったが、自らが光そのものとも言えるその御姿が故に、己が神の被造物である栄光を忘れて罪を犯したのである。
それはあらゆる悪徳のうちでもっとも正義であるかのように見せかけられる性質の悪いまやかしであり、故にあらゆる悪徳のうちでもっとも罪深い。
「傲慢」
それが彼の者の犯した罪である。
彼は光に満ち溢れる己の姿と地位と優れた能力にうぬぼれ、神の定めし法に疑いを抱いたのだ。
清涼な冷気を湛える甘美なる氷菓子を手にして彼は、如何にも卑しいといわんばかりに高慢にのたまう。
「それが神の法とはいえど、はたして誇り高きこの私が、定められた運命を目の前にして、従順とそれに従うことが出来ようか。どうしてそれに従うことが清貧と誠実の証明となろうか。病を運ぶ鼠のように歯を立ててへら状に使い、地を這うとかげのように舌を伸ばして舐め回すなど、なんと卑しく汚らしい。もっともこの私が回避するべき行為ではないか。」
そして氷菓子のふたをとると、あろうことかなめずに捨てたのである。
「アイスのふたは舐めるべし」の法を破ったのだ。
これ以上に彼の者の傲慢を示す証拠があろうか。
神の怒りは凄まじく、月と太陽は割れ砕け、天の星はことごとく炎に包まれ、大地と海は巨大な竜と化して荒れ狂った。神の軍勢は大挙をなして三本の槍と炎の剣で彼の者の胸をつらぬいた。
そして彼は燃え盛る焔に包まれ、天界から稲妻のように、永遠の奈落へと堕とされたのだ。
……遥かな時の彼方、まだ人が神のなんたるかを忘れ去る以前の、古の出来事。彼の者はその名をルシファーといった。
実は、嘘っぽくないところまで真っ赤な嘘である。
八時だよ!全員真・女神転生
〜地獄の恥典〜
written by コラソ・ド・プラソツー
福音その三:ダンス・ウィズ・エンジェルス
「同胞よ、お前は絶対に誤っている。この世に存在するあらゆる被造物がそうであるように、魂は形に宿りはしない。ものの本質たる名前が形に基づいて名付けられるはずがあろうか。味だ。」
「君は問題の本質を見極めていないようだな。たしかに形に魂が宿る被造物は存在し得ぬが、しかし、その名は不完全な存在である人の設けた名前であり、仮の名に過ぎないことを失念してはいないか?形に囚われやすい人が、形に基づいてものを名付けるは必定。形ではないか。」
「お前こそ忘れてはいまいか、哀れな同胞よ。人は不完全とはいえ、神の似姿。あるいは神への可能性と言い換えてもよい。このものの名は、人がものの本質を捉え得る、神に準ずる存在であることを証明する稀有な一例ではあるまいか。」
「やはり問題の在りかがわかっていない、哀れなのはどちらだ。よいか、このものの本質は、厳密に言えば何だ、これの正体は何だ。一目瞭然ではないか。パンだろう。」
パンである。
「いくら論じたところでメロンではない。君の言う通りに味であったにせよ、あるいは形であったにせよ、どちらにしてもそれはこのものの本質ではない、ただ単に似ているだけだ。似ているからといってそれそのものの名前を冠するなど、具の骨頂。君が言うような例にはなりえないな。よいか、人がこれの本質を捉えているか否かなど、ここでの問題ではないのだ。」
「やかましい!」
ガシャン。
ウリエルの手に薙ぎ払われて、花瓶は豪奢なカーペットの上で粉々に砕けた。
「そんなことはわかっている!」
「わかっていないではないか。人は神ではない。これは真実だろう。故に、人の創りし名は、形が質に先行する。形が味や香りに先行する!」
「ラファエル、お前のいう真実はいつも一面的ではないか!」
ウリエルは発作的に立ちあがると、間髪入れず、噛みつかんばかりに言い放った。
「よかろう、ラファエル。お前の言う通り人は所詮、人よ。神にはなれぬ、と仮定しよう。故に、人にものの本質を見抜くことは出来ないとしようではないか。しかし、だ、例えそうであったとしても、ものが名付けられる時、形が味・香に先行するとは言いきれぬ!」
「どうして。君は、ボクの言う事を認めたのではないのか?」
「認めたからこそ、お前の主張は認められんのだ!」
冷笑を口元に浮かべるラファエルの前で、ウリエルの手の平が机に叩き付けられた。
「お前は言ったばかりだろう、味も形もどちらも等しく本質ではないと!同じ口でお前は何の証明もなしに形が味に先行するという。詐欺同然ではないか!」
「なにを!だからそれについては、ボクが朝から何度も……」
「え〜いしかし、それでは理論的に……」
そして両者はまた軍鶏のように、ギャーギャーと際限のなく騒ぎ立て始めるのである。
そんな光景は、かれこれ四日四晩、昼となく夜となくヨシオの目前で繰り広げられている。
両者に挟まれて机の上に転がっているのは……円形をした一個の菓子パンである。
ドーム状にこんもり盛り上がった表面は網目模様で覆われ、こんがりと焼き上げられてそこはかとなく硬質な印象を受ける。
仄かに漂ってくるどこか懐かしい、素朴な甘い香り。
終わらない争いの火種が、はたしてここにあった。
「味がメロンに似ている、故にメロンパンと名付けられたに決まっていようが!」
「何を言っている、形がメロンっぽいからメロンパン、これが真実だ。」
あーあ。
なんっつーか……へーわなひとたちである。
満面を朱に染めたウリエルと肩で息をするラファエルの顔を順繰りに見比べて、メシアは、無表情に顎を撫でてただでさえ幾筋もの線の入った眉間へ、更に皺を寄せた。
『な!?そうであろう、メシアよ!私(ボク)の主張が正しいだろう!』
四つの瞳が同時にヨシオに振り向いた。
「アンタがた、逝っていいぜ。」
言うが早いか腰のピースメーカーを抜き放ち、電光石火の早業で約二名の眉間を打ち抜……きたかったのだがそうもいかず、十字を切って空ろに天を仰いだのだった。
正気に返り、フツオ逃亡を知った天使長ミカエルの怒りは尋常ではなかった。
なにせ、幼児向け教育番組「できやがるかな」のプロデューサー、弁解する間も与えられずにその場でメギドラオンくらって三階級特進である。番組スタッフのエンジェルたちは御使いの獄舎である第五天マテイへと幽閉、燃え盛る炎の星に永遠に縛り付けられることとなり、邪悪で陽気な番組のアイドル・クトゥルーくんにいたっては槍で頭から串刺しにされ、マハラギオンでこんがり焼かれたあげくに、ミカエル印の秘伝のタレを塗られて、世界一でっかいイカ焼きとしてギネスブックへ申請されてしまった。
そして、ヨシオもまた、断罪をまぬがれ得なかった。
メシアとはいえ、神の託宣を反故にしたヨシオの過失は大きい。
「メシアともあろうものが、何たる様か!貴様、それでも神の僕か!皇軍の威信を辱めおって、そっ首叩ッ斬ってくれるわ!」
「ミカエルさま、一つ、お尋ねいたします。それは神の定めし法に従ってのことですね?」
「ぬかすな!当然であろう!」
大音声で吼えたミカエルを前にして、ヨシオは弁解するでもなくすっと首をさしだした。
「最早なにもいいはしませぬ。斬り落としていただきとうございます。」
「……よかろう、我とて鬼ではない。一週間だけ待ってやろう。それで全て不問とする。失敗した時は……わかっていよう。」
こうしてヨシオはフツオ捕獲の任に就いたのだった。
その副官として派遣されたのが、ウリエルとラファエルである。
しかし、ヨシオは知っている。
彼らはミカエルに繋がるヨシオの監督官なのである。ヨシオが少しでも失態をみせようものなら、ミカエルの命に従い、「出来損ないのメシア」を速やかに処分する……それが彼らに課せられた真の役割……
の、はずである。多分。
きっと。おそらく。そうだろうと思うけど、今となっては自信ないからあてにしないでください。
「是非に!是非にこのアホウどもをぶちのめしたい!アパッチの機銃を思う存分ぶっぱなし、こやつらを肉ミンチにしてやりたい!神よ、許したまえ!」
「何を肉ミンチにしたいのかね、ヨシオくん。ストレスの溜めすぎはよくないよ、キミ。」
「ラファエルの言う通りだぞ、ヨシオ。このウリエル兄貴にどーんと相談してみるがいい!」
怒ってみたところで、本人たちに自覚症状がないのでは、イヤミにもならない。血圧が上昇するだけだ。
逃亡事件発生から四日。
天に昇ったか、地に潜ったか、フツオの足取りはようとして掴めなかった。
東京タワーに構えたヨシオ逃亡事件本部では、十時のおやつにメロンパンが差し入れされて以来、大天使あらため極楽トンボが約二名、事件そっちののけでバカ論争を続けている。
ミカエルはミカエルで毎朝毎朝本部にやってきては、朝会を設けて延々一時間に渡り国歌「神が代」を斉唱させるし、捜査を行う天使やメシア教徒は神の意志そっちのけで布教のことしか考えていないし、飯はまずい、風呂はない、肩はこるわ、靴擦れするわ、通販で購入した金30万魔貨也の毛はえ薬はインチキだわ……
あの日以来、四度目の夕日が、窓の向こうに燦然と輝く。
「あ〜っ、と。こいつら全員カエルみてぇに解剖してやったら、大地はこんな風に真っ赤に染まるんでしょーねー。」
「おいおいヨシオ、そんな暗い顔してちゃあ幸運の女神は一目散に逃げ出すぜ。ヤなことを忘れるには踊るのが一番だと、兄貴としては提案しよう!」
「踊れ踊れ!ゴーゴー、サルになってゴー!」
と、バカ陽気にほざいたラファエルは、いつのまにかサンバカーニバルよろしく、きわどいブラに羽飾りを装着している。
そんなラファエルに向かって「ウオンチュ!」と親指をビッと立てると、ウリエルは待っていたとばかりに、明らかに毒キノコカラーのルージュをべたべたに塗りたくり、唇を「んぱっ、んぱっ」ってしてから、
高らかに指を鳴らした。
どこからともなく流れ出すノー天気極まりないニューミュージック。
「レッツ・パーテー!」
チャンカチャチャンチャンチャ……
ん?
確かに陽気なニューミュージック風にアレンジされてはいるが、このメロディは……
世界の全てを朱に染める夕焼けの中で、二つの間延びした影法師が、見えない糸に繰られて妖しく揺らめき始める。
「♪踊りお〜どるぅ〜なぁ〜ら、ちょいとTOKYO音頭ぉ〜。」
「さあ、踊るのだメシアよ!天にまします神の意のままに!魂がビートを刻むままに!」
全身バカ笑顔でほざきながらわっさわっさと羽飾りを振り乱す。
「………………」
ぐぐ、ぐぐぐ、
と音すらたてて、またも眉間へふか〜い皺が刻まれた。
眉間に皺が寄りすぎたおかげでもともと甘かったヨシオのマスクは、いまや踊る大捜査線の室井さんのようである。
しかし、それでもヨシオは無言であった。怒ってみても無駄だということは、わかりきっている。
……実は先ほどついにプッツンいって「誰のせいで暗くなっとるんだ、あ!?」とスリッパで激しくツッコミを入れたのだが、そんなものは完全にスルーされてしまった。
こいつらに付き合っていると、いくつ胃に穴があくか知れたものではない。
多分、やつらはTOKYO音頭・赤の書〜ハチ公前ミックス〜のリズムに乗って、オールナイトで踊りつづけるのだろう。
ある意味で境地へと旅立った二人にくるり背をむけて、つっかつっか、股が裂けんかと見てるほうが痛くなるような大股で、ヨシオは本部の外へと出ていった。
先ほどまで空と金色に輝く東京湾の狭間に浮かんでいた太陽が、もう中ほどまで水平線へおちようとしている。
東の空には宵の明星がぺかぺかと宝石のように輝いている。
廃ビルの入り口に掛かった一抱えほどもある「事件本部」の表札を振りかえると、一ケリ入れてヨシオは歩き出した。
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