●真シリーズはメガテンか否か
亜季 >
ネットを徘徊していると「真シリーズはメガテンとは認めない」
という意見を見ることがあります。
つまりFCの2作品しか認めないということです。
私は人の価値観に対してとやかく言うのは好きじゃないのですが、こればかりは納得出来ないんです!
皆さんの意見を聞かせてください!
TA >
とりあえず、「メガテン」を定義するのが先決だと思います。
s・バレット >
あんまりネットサーフィンをしない人間なので、「真シリーズはメガテンとは認めない」という意見をちょっと見掛けたことがないです。ので、どこで、どういうことが言われていた(あるいはいる)のか、教えていただけませんか?
そういう意見のあるサイトのURLなんか教えていただけると、ありがたいです。
ヒュブリス >
URLとかは分からないですが、以前某メガテンサイトで熱烈なナ●コファンのHPがあって、そこで純アトラス製としてリリースされたメガテン(真シリーズ以降)がボロクソに言われていた、というような話題はありました。(そう思われないナ●コファンの方すみません)
これに似たような議題はここの掲示板でも過去に何度か上がったようなのですが、やはりLAW−CHAOS−LIGHT−DARKのアライメントだけで悪魔の全てを表現しようとしてしまったのが無理があったのかもですね。
真・2の天津神のように悪魔としての属性はLAWでも勢力としては(例え不本意でも)NEUTRALもしくはCHAOS的な立場にいる種族もいますし。
あと、唯一神をLAWという単なる一勢力だけの頂点と定義してしまったのも歪みを生んでしまったのかも・・・と思います。
FC版2はイデオロギー的な種族・悪魔の立場を無理に決まった属性に当てはめなかったのを、かえって真シリーズの属性分けより高く評価してるファンもおられるという事なのかもですね。
その「認めない」と仰られてるファンの方は真シリーズが「コロンブスの卵」に見えるんじゃないでしょうか。
真シリーズすら認めないならペルソナとかどう思ってるのか聞いてみたいですけど・・・(あれは製作者が自分でメガテンじゃないみたいな事を言ってますが)。
亜季 >
ここを見て頂けるとありがたいです。
ヒュブリスさんの言うとおり、属性に疑問があるようです。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/3063/amesouko/
メガテンの定義ですが、FC版の2作品(特に1)がメガテンだと言うなら
・3Dダンジョン
・会話
・合体
になるような気がします。
それだけじゃないのは分かっているんですが、文や言葉にするのは難しいですね。
残念ながらペルソナへの意見は見つけられませんでした。探してみます。
s・バレット >
亜季さん、情報ありがとうございます。
結構手厳しいですね。
「だから、仕方ないから、薄っぺらい宗教論とか文化論が展開される。」
「"ボクにとってのLAW・CHAOS"程度の自己満足に終わっている」
というお話など、身に覚えがあって耳が痛いです。
いろいろと思うところはあるのですが、とりあえずそれは後日書き込みたいと思います。
ところで、ご紹介のサイトの管理人・あめさんというのは、仲魔名簿の十番目に登録されているあめさんと同一人物なのかなぁ。
ノコ >
同一人物ですよ。 よくココもお世話になってます。
記事を書いてもらったりと。
s・バレット >
>ノコさん
そうですよね?やっぱりあのあめさんでしたか。
それでは前言どおり書き込ませていただきます。といっても、ほとんど真シリーズの物語・世界設定に関する批評ですが。
かなり長い上に、真シリーズについて結構ボロカスに言っていますので、「お暇な方だけどうぞ」「信者のかた、別に怒ってくれてもいいけど、僕に剃刀を送り付けるとかはやめてね」と先に断っておきます。
また私、FC版二作については旧約すら未プレイというかなりのヘタレ・メガテニストですので、その点についてもどうぞご了承ください。
なおFC版の内容については『女神転生十年史』に依拠しています。
――――
ご紹介のサイトを見ていると、「真シリーズのストーリー・世界観などは、女神2の出来の悪い焼き直しに過ぎない」という主旨の意見が目に付いた。
確かにそう言えなくもないだろうが、しかし、両作品を比較すると、似て非なる理念のもとに作られているのがわかる。
女神2は神の絶対的な正当性を問うストーリーである。
真シリーズは絶対的な価値の否定を叩き台にして、新たな可能性を問うストーリーである。
女神2が絶対の価値の否定にとどまっているのに対し、真シリーズは女神2を超え出で、絶対を否定したその先をプレイヤー自身に語らせようとする野心を持っているといえよう。
その野心を実現する手段の一つが「L-C軸」の設定であった。
ロウVSカオス、相容れぬ二つの価値観。
女神2で善悪を反転させることによって描かれた価値の相対化を、真シリーズは二つの価値の対立で表そうとする。
これによって、反転していたにせよ女神2にすら存在した善悪による価値判断を真シリーズは停止させ、そうすることでプレイヤーが能動的に思考できる振り幅を広げようと試みている。
それだけではない。L-C軸の設定は、二つの価値観の間で迷う人間の「揺らぎ」を、シナリオに頼ることなく表現できる可能性も持っていたのである。
ではL-C軸設定の意図は、真シリーズおいて完全に成功していたか?
確かにある程度の成功は見た。
だが、これまでにも何度か話題にもなっているが、真シリーズのえがくカオスは様々な矛盾を抱えている。例えば、自由を好むはずのカオスがなぜガイア教という一つの宗教のもとに団結するのか。魔界はなぜルシファーを頂点とするヒエラルヒーの「秩序」のもとに統治されるのか。これらは明らかにカオスが掲げる「混沌」という思想と矛盾する要素であり、これらの存在をそのまま容認することは、カオスが自己崩壊を引き起こす危険すら秘めている。
思うに、カオスの抱えるこのような矛盾が生まれたは、ゲーム中で描かれるカオスが「カオス思想」ではなく「ロウの反対」でしかなかったことが原因なのではないか。
「メシア教」に対する「ガイア教」。
「品川大聖堂」の対極としては上野の「ガイア大神殿」がある。
また、カテドラルには地上八階にミカエルが君臨し、地下八階にアスラ王が陣取る。
そして真2においてはサタンのイレースに敵対するルシファー。
真シリーズのカオスはまさしく、「ロウの鏡像」として描かれてきた。
そして結局、それ以上の掘り下げはなされていないのである。
言い換えればカオスは、アンチ・ロウ的側面だけでもって描かれ、「混沌」そのもののエピソードは、まったくといっていいほど語られていない。
真シリーズにおいて(女神2もだが)カオスは、「カオス」として語られることはなく、「ロウの反対」としてしか描かれなかった。いや、開発者の力不足でそのようにしか描き切れなかったのか。あるいは「カテドラルはロウのミカエルが完成させようと、カオスのアスラが奪い取ろうと、お前たち人間に幸福はもたらさぬ」を構造的に示すための、計算されたシンメトリーなのかもしれない。いずれにしろ、この「ロウの逆立ちの思想=カオス」という描き方が、カオス思想の破綻の元となっている。
これは印象ではあるが、「カオス」という概念を開発者は、ロウの反対・ロウの鏡像という「役割」でしか、捉え切れていないのではないか。ゆえに、悪魔が神の暗黒面を担う「神の一部」に過ぎないのと同じくカオスはロウの従属物でしかなくなってしまった。そのためにカオスは、世界観の片翼を担う重要な概念であるにも関わらず自己矛盾に満ちたいびつな姿になって、ユーザーの前にアンバランスなみすぼらしい体躯をさらしている。これは開発者の致命的な手落ちであると言わざるをえないだろう。
ロウ、カオス双方の持つ未来像を見比べた時、「ロウの従属物たるカオス」は如実にその貧弱な素顔を晒すことになる。
ロウの未来像には「千年王国」というはっきりした輪郭がある。そして「その行き着く果ては選民思想」という開発者の見解が真1〜2の流れの中で明確に示された。
これに対し、カオスについてはただ「混沌」という決まり文句が繰り返されるのみで思想的な拠り所が判然とせず、ロウを排斥したのちの世界の具体的なビジョンもないため、思想として非常に貧しい。これではロウのアンチとしてではない、カオス独自の物語を創り出す力は到底生まれ得ないだろう。
カオスの掘り下げの甘さの結果、L-C軸は、ロウVSカオスという対等な価値観のぶつかり合いではなく、ただ「ロウとその対極」でしかなくなってしまった。
ここに真シリーズがL-C軸の設定で目論んだ「ロウVSカオス、相容れぬ二つの価値観」という大いなる企みはやぶれた。結局L-C軸は、女神2の神とルシファーの関係を超え出でることが出来ていないのである。
本来ロウと同等の力で綱引きをしなければならないカオスの掘り下げの甘さが、真シリーズを実験作の域を出ない作品にしていると言えるだろう。
(ただある程度は、本来の真シリーズの姿であるロウとカオスの綱引きは、成功しているように思います。ニュートラルルートにおけるカテドラルでのロウヒーローとカオスヒーローの言い争いなどは鳥肌ものでした)
――――
真シリーズにあり女神2にはない要素であり、いわば真シリーズの「正解」であるはずのニュートラルルートも、なにかしら拭い切れない胡散臭さのようなものをまとっている。
ニュートラルルートは「ロウ」でも「カオス」でもない「第三の道」という側面が強いが、物語中にニュートラルルートを成立させる方法として取られているのは、真1においても真2においてもロウとカオスの両方を「否定」するという手段である。ニュートラルという一個の価値観を肯定することによって進むシナリオではない。
なるほど、そういう方法も十二分に有り得る。
「AとBは対立する関係にある。Aは偽である。ゆえにBは真である」あるいは「Bは偽である。ゆえにAは真である」という、片方が間違っていることがもう片方の正当性の証明になる「善悪」の二項対立が通常のRPGが持つ文法である。敢えて神をラスボスに設定した女神2も、「通常のRPGの逆立ち」としてこの文法を使用している。
が、真シリーズのニュートラルルートが用いているのはこの文法ではない。ニュートラルルートは「AとBは対立関係にある。Aは偽である。しかしBも偽である。ゆえに真はAとBの他にある」と物語に描かれた二項を両方否定することによって、物語に語られない「外部」に正解を設定する、一種の否定による外挿法を文法として使用しているのである。
この物語の方法は、「読者(プレイヤー)に能動的に考えさせる」には、非常に適している。否定による外挿法の文法による物語では、語られる物語の内部に承服しうる「正しい」言説は一つとしてなく、ラストシーンが示すのもただ、物語の外部に「正解」があるかもしれないという可能性のほのめかしだけだ。そして、語られない「正解」は、物語の受け取り手一人一人がみずから探さなければならないのである。
このような真シリーズの物語の方法は、非常に挑戦的であると言えるだろう。どれだけ開発者がこのことを意識していたかは分からないが、少なくともニュートラルルートにはそのようになる可能性があった。
だが、実験的で挑戦的なこの物語の方法論を、真・女神転生が完全に活かしきれていたかというと、"イエス"と答えるのは難しい。
というのは、他でもない。否定の物語たるニュートラルルートにおいて主人公が取る選択は、常に「NO!」と答えることだが、その答えを示す手段があまりに安直すぎるのである。
なるほど、属性決定イベントの中には、真1における幼なじみのボディコニアン化のイベントや真2のアルカディアを存続させるか否かといった刺激的なイベントもあるだろう。しかしニュートラルルートで最も印象的な否定の手段は、ロウもカオスも「倒す」というシンプルかつこれ以上なく強引な方法である。これではニュートラルルートが行っているのは、第三の道の模索ではなく、ただの無差別なジェノサイドにしか見えなくなってしまう。
そして真1においては、ニュートラルエンディングが抱える安っぽさが、新しい物語の可能性に満ちていたはずの文法の崩壊に拍車を掛ける。
「感じる・・・・・・銀河のうねりも・・・・・・素粒子の振動も・・・・・・」
ニュートラルエンディングは一見、バランスと調和の大切さを語る感動的なエンディングである。しかしその実、示されているのはただただ秘儀的な宇宙との宗教的一体感であり、それを「境地」と奉るのは第三の道でもなんでもなく、秘儀を持つ宗教にとってはまったく普遍的な感性ではないか。これでは、ロウでもカオスでもない、第三の可能性の示唆には到底なり得ない。
しかも、エンディングの太上老君のセリフ「人の未来は、神や悪魔に頼らず、人間の手で作る」は、徹底的な神魔の皆殺しの末に辿り着いたエンディングという経緯も相俟って、第三の道ではなく「能天気な人間中心主義」と受け取られる危険性がある。「世界の中心たる人間」を謳いあげるだけの浅はかで傲慢な人間中心主義が何を生むかは、環境破壊いちじるしい現在を見回せば一目瞭然だろう。
「調和」「バランス」を旗印にしながら、辿り着いた結論がただの傲慢なヒューマニズムでは、お粗末にもほどがある。しかも同じニュートラルエンディングで語られながら、ヒューマニズムと宗教的な宇宙との一体感は互いに矛盾する要素ではないのか。
だいたい、先に延べた否定の外挿法を用いる物語のエンディングで解答を示すのはルール違反であり、その解答が安易なものであれば興ざめでさえある。読み手につまらない誤解が生じるようなものなら、なおさらだ。(その点、真2の「あなたには私がいる、私にはあなたがいるわ」というEDは、漠然とした希望のほのめかしに成功していたと思います)
もしかするとカオスと同じく、ニュートラルのビジョンというものを開発者サイドは漠然としてしか持っていなかったのかもしれない。ニュートラル定義の曖昧さを見ていると、そうとしか思えないのである。
否定の外挿法を物語の文法に用いるなら、たとえそうであっても充分に骨のあるストーリーに仕上げることは出来るだろう。
だが真1は、これに失敗していると言わざるをえない。「ゲーム的なハッピーエンド」に囚われ、強引にきれいにまとめあげようとしてしまったがゆえの失敗であろう。
――――
総じて言うなら、真シリーズ(ことに1)はあからさまに実験作であり、「粗削り」なのである。挑戦に溢れてはいるが同時に失敗も抱え持っており、完成度という観点から見ればどうしても高い評価はつけ辛い。
真シリーズの重要な要素の多くが、女神2の流用であるのも事実だ。
女神2の再解釈ともいうべき世界観と、挑戦的な部分の完成度の低さゆえに、真シリーズの物語・世界観は確かに、悪く言えば「煩雑な女神2の焼き直し」にも見えてしまう。
女神2を超え出でるものを描こうとしながら、真シリーズが描いた最大の衝撃が結局女神2と同じ「神への反逆」でしかなかったのが、そのような印象をさらに助長する。
だがしかし。
それをもって「真シリーズなどメガテンではない!」と否定してしまうのはどうだろう。多くは未成熟なものに終わっているとはいえ、意欲的な挑戦がなされている点は評価してよいのではないだろうか。
また、会話・合体・3Dダンジョンといった目に見える部分だけでなく、オカルトであるにも関わらず妙に洒脱で洒落っ気のある空気などは、真シリーズがFC版から上手に引き継いだメガテン的要素なのではないか(この辺りは実際にFC版、真シリーズ双方をプレイしている方に判断していただきたい)。
なによりも、ロウ勢力とカオス勢力に振り分けることによって、大きな破綻を見せずに古今東西の神々を一つの世界の中で競演させてみせた手腕は、賞賛に値する(多少強引な手段ではあったが)。たとえその土台に神VSルシファーの物語である女神2が横たわっていてもだ。
――――
以上、ついつい最近覚えたかっこいい言葉が使いたくて、意味もはっきり把握していないのに「外挿法(エクストラポレーション!おー、かっこいい)」などと何回もしつこく書いてしまった、お子様バレットのご意見でした。
他にも、件のサイトでも言及されていた事柄ですが、「正解はない」といいながら、ニュートラルルートがあたかも「正解」であるかのような扱いにあるのも、気にかかるところですね。
亜季 >
>s・バレットさん
ありがとうございます。
自分の意見があるのですが、漠然としているので、言葉に直してから書き込みます。
亜季 >
s・バレットさんの意見を読ませて頂きました。
そう言われると実験作であり失敗作であるという意見もありかな〜と。
ただ、カオスは矛盾しているという意見が目につきました。ここだけでなく良く聞く意見ですがそのことについて。
確かにルシファーを頂点とした階級制度やガイア教といった秩序や組織があるのは事実。しかし、ルシファーを頂点とした秩序は本当に秩序と呼べるのか?ただ強いから逆らえないというだけで力が全てではないのか。
真1でヤマを倒したときのカオスヒーローの
「ヤマもたいしたこと無かったということか…」
という言葉はそれを忠実に表現している。
ガイア教という組織も組織としての活動が見られないことから、メシア教への圧力、必要に応じた協力が目的でありメシア教のように同じ信念の持ち主の集団ではない。
このことからやはり秩序は存在していない。例外ももちろんあるが(真2のケテル城にいる人達等)。
以上のことから矛盾しているわけではないと考えられる。
しかしs・バレットさんの言うとおり、ゲーム中でのカオスはロウの反対勢力でしかないというのも事実。ゲームをプレイしていると、神に反対する集団でしかない。
混沌に一番近いのはニュートラルルートであるのにも問題がある。
一番の失敗はロウの反対勢力をカオスにした事だろう。
カオスというのは混沌であり、コスモス(無秩序)を表している。無秩序というものは目標を立てることができず(目標を立ててしまうと無秩序とは言えなくなる)、ただ神に反対する者たちが集まっているだけになってしまう。
さらに無秩序という概念から、悪魔とガイア教徒の協力すら許されなくなる(完璧な協力体制をとるとやはり無秩序にはならない)。
無秩序あるいは混沌というあまりに曖昧な概念が真シリーズを失敗作と言われる原因を作ったのではないか?
やはりメガテンのことを考えていると属性の方に行きますね(汗
意見についての反論があったらどんどんお願いします。
HDK >
あらあらオモシロそうな話があるじゃないの・・・乱入しよ。
この認めていない人、ふと思うんだけど、真に何を求めていたのだろう?
確かに、真シリーズはFC版2の二番煎じだと思うよ、私は。
2と比べて、ギラギラしたものを感じなかった。
真の2作は2ですでに提示していたものを改めて使いまわしたっていう印象はあるんだな。
だから2で見たことのある大破壊後の世界やら魔界とかは、真では全然インパクトがなかったのよ、私には。むしろギメル君の正体の方が強かった。当時(高1のとき)メガテンの価値観=自分の価値観だった私にとって、洗脳っていう話はメガテン内の中で初めて見たものだったから。パズスと親友は「洗脳」じゃなくて「心酔」だもの、アレ。人為的に洗脳された、作り物の楽園だったっていうのがテーマっちゅーのは真2のアレが初見だったよ、私は。
S・バレット君の言うように、真シリーズは壮大な実験作だったと思うのよ私も。
失敗作だってのも含めてそこら辺はいっしょ。
で、どこら辺が実験だったのかっちゅーと、個人的には
「〜な様子です。あなたはどうしますか?」
っていう話になったときあなたは何を選ぶのか?っていう、考えに考え抜いた個人の選択基準を問うものだったんじゃないかとも思うのよね。
攻略目的でやるとただのゲームでしかないのに、刹那的な選択肢を真剣に(真っ白のままで)悩み、考えた末に選んだ選択肢で、自分の写し身の行く立場がまるで変わってくる。
これ以前のゲームは「はい・いいえ」どちらを選んでもゲーム進行は変わらないっていうのがかなりあったから、この「変化なしかよ!」ってことに対して実験と投げかけをしてたんじゃないかと思うのよ、真1は。問題はその選択のときに、ゲーム内の価値観が一般のプレイヤーのソレとズレまくっているところで、そのズレがそのままロウ・カオスの不協和音に絡んでいるから未だに賛否両論そろっているっていう感じがするのよ。で、ロウとカオスは真シリーズの幹で、それがハナから歪んでいるから失敗作っていう見方にもなるのよ、少なくとも私はね。
ただ、選択を突きつけるっていうことに関しては、非常に意義があることだったと思う。
タクティクスオウガだって、あのゲームのシナリオは「自分のスタンス・考え方をどこに持っていき、何を基準にして決断するか」を民族紛争を下絵にして描いているわけだから、オウガのロウ・カオスも女神の二番煎じだなって印象だったし。マルチシナリオの実験作だって考えれば、後にオウガみたいな大作の礎になったことを考えれば、十分に意義があると思うよ。
で、ここで最初の問いに戻るね。
「真シリーズに何を求めていたのか?」
私はその時々の選択肢で悩み、苦しみ、もがきたかったから、攻略本は買っても見ないでクリアした。選択肢でそのつど悩むプレイだったから時間はかかったが思う存分マゾな自分を堪能できて満足したのよ。
この認めない人は「続編で新たにゾクゾクしたいなぁ・・・2以上にスゴいのを味わいたいな」っていうところで真シリーズに手を出したんだと思うのよ。でも、それだったら手を出すべきなのは「真・女神転生」じゃなくて「女神転生3」だよね・・・だったら、「認めない」とか声高に叫ぶより自分で「女神転生3」作ってよ、って言いたいやね。Web小説でもフリーソフトのゲ−ムでもいいからさ。
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あらあら、オウガバトラーたちを敵に回しちゃったかな?
まぁ、オウガバトラーはそんなに狭い視野持っているわけないか、と信じとこ。
久々の好き勝手な長文になっちゃった。
文句があるならレスでもメールでもいくらでもどうぞ・・・反応が楽しみ楽しみ。
s・バレット >
>亜季さん
ルシファーとかガイア教については、おそらく開発者の方もそういう背景を考えていると思うんですけど、ソフト内では、「ルシファーが力で統治している」とか、そういうことにまったく触れていないんですよね。説明不足なんですよ。そういう意味でも、「掘り下げが甘かった」と。
>HDKさん
"「変化なしかよ!」ってことに対して実験と投げかけ"という指摘は、的確な指摘だと思います。
あと、メガテンがタクティクスオウガを生んだのは、絶対そうですよね。
作品論ではなく、ゲーム史的な視点からのご意見は「ああ、そういう視点もありだよなぁ」と感心しました。昨晩「BSマンガ夜話」を見ていただけに、余計に。
そういえば、ゲームソフト論という視点でメガテンを正面から語るのって、ここではこれがはじめてなんじゃないかなぁ。これまで、完全にゲーム世界の中に入って語ってたからなぁ。
ゲーム奉行、ジツは議論好き。 >
えっと、たまたま検索でこのサイトに辿りついたのですが、気になる話題があったので、この場に乱入させて頂きますm(__)m
初代のFC版女神転生を遊んだ事がないので、比べる事は出来ないのですが、L−Cについてはいくらか意見があります。
カオスが単なるロウに対立するだけの存在だったようには、私にはちょっと思えないんです。カオスのエンディングでは、抽象的に見えるけどしっかり未来像を言っていると思います。生命による永遠の輪廻、あるいは絶対的な統制に対する反乱。このゲームのカオス側にとって重要なのは、この思想、理念であって、ロウ側が言う千年王国のような具体的な未来像でも、管理体制でもないわけです。力のあるものが相争うという、理念的な未来でカオス側には充分だと思うのです。また、LOWとCHAOSはあくまで「区別」であり、カオス側が「混沌」に根ざしている必要は無いと思うんですよ。比較した時、より混沌に近い事は確かだと思うのですが、カオス側が根ざすものが完全な混沌である必要も無いですし、それは不可能なもののようにも思えます。
真2をまだやっていないので(金があれば買えるんですが…(TT)、真2の内容を含んだ意見は言えないのですが、真だけを見ている限りでは、ルシファーは唯一神に対抗してるわけではないように思います。カオスエンディングの最後で
「しかし私も奴(彼だったかな)の一部にすぎないのだ。この意味をよく考えるがいい、人の子よ……」
とルシファーが言ってた事を考えると、ルシファーが対立していたのは、「唯一神」ではないのだと思います。そもそも、唯一神は真Tの時点では名前すら登場せず、その存在がロウ側のものである証明はどこにもないように思います。ただロウ側の方が唯一神を信仰していたり、唯一神の力を借りたりしていると言っていたりするだけで、その真偽は定かではないと思いませんか?私は唯一神は非常にニュートラルな存在だと思いますよ。ロウ側のいう唯一神が真の唯一神(ルシファーの言う奴)では無いのか、あるいはロウ側は唯一神を語っているに過ぎないのか、どちらかなんだと思います。冷静に考えてみれば、唯一神たる存在が、「悪魔」としてあの世界にいる神々と同格なのはおかしいでしょう?ルシファーの言う唯一神とはそのような抽象的、あるいは哲学的な定義は持ちえても、「悪魔」のような「存在」とは全く違うものなんだと思いますよ。
女神Uを知らないからどうしようも無いんですけど、そういう意味で考えれば、少なくとも真1に限れば神VSルシファーとは一概には言いきれないのでは無いでしょうか?
今思ったんですけど、ゲーム中のL−Cはそのまんま現実の一神教と多神教ですよね。そういう解釈も可能だと思います。
hoan >
では己も、乱入してみようかな。
って、本人なんだけど(笑)
何つーか、自分の発言が、こんなところで話題になってる、っていうのが
ちょっとオドロいた。
話を最初に戻して、メガテンとは。
「女神転生」「ペルソナ」って名前がつくゲームは、沢山ある。
本流と言われてるものだけを数えても、
7つ(FC版2つ、SFC版3つ、SS版2つ)になる。
これだけ、広がってしまえば、もはや、みんなが納得する「メガテン概念」って、
もうない、と思う。
LAW-CHAOS軸を、シナリオのメインに、置いているものは、
7つの「本流」のうち、わずか2本(真Iと真II)だけである。だから、
「メガテンを語るなら属性!」というのは、少なくとも、本数の上では、
あてはまらない。
それでも、「メガテンといえばLAWとCHAOSだろ」という意見は、
妥当である、と己は思う。「属性の話ヌキで、メガテンは語れない」、
という人は、たくさんいるからね。
その彼らにしてみれば、FC版の2本や、デビサマは、「メガテンじゃない」、
ってことに、ひょっとしたらなるかもしれない。
どこにメガテンらしさを求めるか、によって、プレイヤーそれぞれの
「何をメガテンとするか」が変化してくる。極端な話、
メガテン=女神転生=「女神が転生する」、と考えたら、
FCI以外は、ぜんぶメガテンではない、ってところに行き着く。
趣味なんだから、守備範囲をまず固めてしまうのは、仕方がないと思う。
バイク好きが「原付はバイクではない」と言ったり、
ビール好きが「発泡酒はビールではない」と言ったり、ね。
そして、己個人的には、SFC版は、別のタイトルで出してほしかったな、と。
いろいろ新しいものを、詰め込みすぎて、別物になってしまったから。
>亜季さん
hoanと申します。
3Dダンジョン、会話、合体、というシステムを重視すれば、確かに、
本流7本は全部メガテンですよね。それはわかります。
特に、会話に重きを置けば、ペルソナシリーズもメガテンになる、
というのもわかります。
属性の話は、始めると長くなってしまうので、別の機会に譲りますが、
己としては、新作に新要素を盛り込みたい、という、
制作側の気持ちもわかります。
でもそれは、「失敗して、旧作ファンが離れてしまう」危険性を、
持っているわけでして。
「システムが変われば、魔神転生のように、メガテンではなくなる」、
(魔神転生がメガテンかどうかは、さらに議論がありそうですが)
という考え方が、もし許されるのなら、「属性というシステムを、入れた時点で、
真がメガテンではなくなる」、という考え方も許される、というところで、
どうでしょうか。
あるいは、個人的に納得がいかない作品を、除外するように。
たとえば、魔神転生好きが、「ロンドは魔神転生ではない」
と言うようなものです。
でも、昔は、もっと硬派な意見も、ネットにはありましたよ。
hoan >
>s・バレットさん
おおむね納得です。
「意欲的な挑戦」が、タクティクスオウガなどに、「正邪以外の評価基準」を
もたらすきっかけになった、という点も、そう考えることもできるな、と思いました。
「掘り下げが甘かった」、というのも、同感です。
L-Cが、中途半端なものだったから、議論の共通の土台がグラグラしてしまって、
みんな、言いっぱなしの状態になり、また、何を持ち込んでもアリで、
何を言ってもOK、になってしまう傾向がある、と感じます。
あと、あれは、自分のサイトの掲示板だったから、
己も、けっこう強気に、発言していたのですよ。
>ヒュブリスさん
「熱烈なナ●コファンのHP」、己も見たことがあります。
今は、ファミコンメインのサイトさんでも、真シリーズはダメだ、という方は、
少ないですね。
ペルソナは、う〜〜ん・・・
>HDKさん
hoanと申します。
>「真シリーズに何を求めていたのか?」
おっしゃるとおり、FC2本をプレイしたときの、感覚を、もういちど
味わいたかったのです。
>でも、それだったら手を出すべきなのは
>「真・女神転生」じゃなくて「女神転生3」だよね
まあ、それはそうですが。
真しか出ていないから、己は、真のほうを、やってみたわけです。
>・・・だったら、「認めない」とか声高に叫ぶより
>自分で「女神転生3」作ってよ、って言いたいやね。
うーん、むしろ、己としては、「女神転生は区切りがついた」、と思っています。
今後、メガテンではなく、別のものとして、それなりにおもしろい作品が、
出るかも知れませんけど。「メガテン」を名乗らせるのは、ちょっと、ね。
>ゲーム奉行、ジツは議論好き。 さん
己は、真Iをあまりやってないし、ほとんど覚えていないから、
詳しくはわかりません。
というわけで、他の方の、フォローをお願いします。
亜季 >
>hoanさん
始めまして。この議論は本当はhoanさんのサイトでしたかったんですが、休止中だったので。
皆さんの意見を読ませてもらいました。自分の意見はまたあとで書きたいと思います。練り直してから(汗
亜季 >
すみません。もう少し時間を下さい。難しい話なので…
自由にネットが出来ない環境なので少し遅くなるかもしれませんが。
希祐(場違いさん000) >
メガテン・・・女神転生Tには(一応)原作がありました(アナザーストーリーですが)
私の乏しいメガテン人生から言えば、メガテンとはシステムより世界観……
……っとは言っても、私程度では小道具やギミックという様な意味になってしまうのですがね(笑)
とりあえず、悪魔召喚プログラム、デジタルデビル、なんて物は外せない所……なのですが、それではペルソナ系が除外されてしまいます
「ペルソナは"絶対に"メガテンでは無い」とは思いませんので、とりあえず"メガテン類"に置くとして、では絶対条件は………
悪魔の実在、異世界の実在、"悪魔"に仕える者達の争いや暗躍……なのかなぁ? (って断言すらしないし)
結局は"メガテンを名乗ってる事"と雰囲気、以外無いと思うので結論はお任せ致します(何故書いてるんだろう、私)
何にせよ、"メガテンを名乗るモノ"はゲーム以外にもありますし、世界の掘り下げとなりますとそちらの方も重要かと思います
(小説、マンガ(シリアス、ギャグ)、カード、パソコン用のゲーム(偽典・女神転生)、コンピュータでは無いゲーム(真女神転生TRPGシリーズ)など)
*場違いでしたらご自由にお消しくださいませ 000
希祐(場違いさん000) >
"カオス" ならば、自己矛盾やら何やらあっても良いのでは?
もちろん、"無秩序内に現れる秩序"(とか何とか言う) "カオス理論"まで話を持っていっても良いのでしょうけど……
(私自身が理解しておりませんので聞かないで下さい(笑))
間違いを承知で書けば、バラバラに見えても流れがある、複雑に見えても本質は簡単、だがほんの少しのずれが大きく異なる結果をもたらす……駄目だ、やはり自分でもよく解からない……
――結局、LAWCHAOS問題は、唯一神(派)と敵 と言う分け方にしてしまった事、若しくは「その分類を維持し切れなかった事」 なのでしょうかね?
(またギモン)
亜季 >
皆さんの意見に納得してしまい、反論はありません。
真シリーズの定義は、正邪以外の評価基準だと思います。ifも一応そうなのかと。
真シリーズの定義と書きましたが、どちらかというとFC2作との違いでしょうか?しかし、その正邪以外の勢力ともいうべきロウとカオスが中途半端だった。そういう意味で「失敗作」だった。
新しいシステムを導入したことで「実験作」ということになる。新しいシステムを導入したにもかかわらずDDS2の二番煎じだったのも問題がある。
今現在の結論はこんな感じでしょうか?違ってたら指摘をお願いします。
上でifは真シリーズだと書きましたが、皆さんどう思ってるんでしょう?
ロウ、カオスの概念がそれぞれ違うというのはやはり「荒削り」だったということでしょうか?
話の内容がちょっと変わりますが、ゲーム的に納得できない部分もあります。
例えば仲魔の死体を捨てるとカオスに傾きますが、ヤマは悪魔を戦わせたことに対して指摘している。
なんでそれでそっちに傾くんだよ!というのが多すぎる気が。やはりそれも掘り下げの甘さなんでしょうか?
>HDKさん
私は初プレイはロウルートでした。今までRPGはドラクエばかりやってたので選択肢が出たら「はい」
寄付してください「はい」
そんなことをしているうちに洗礼を受けて…という感じでした。攻略本を見たときの衝撃はすごかったのですが、これじゃあロウに行くよ!と納得できない部分も。
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